あの日の星空をみた人たちの言葉と仙台天文台のプラネタリウムの「星空とともに」




こんにちは。

あの震災の日から約8年半経ちます。

仙台天文台の方たちが作られたドキュメンタリーが

今年3月11日にNHKで放送されました。

そのドキュメンタリーがあまりにも

今でも心に深く残り

その星を見た人たちの言葉が

響いたので真実の言葉を

書き留めてみたいとおもい

以下ドキュメンタリーの文字起こしですが

よかったら 読んでみてください。

はじまり

夫とけんかになった時

帰ると、言って坂を下がってきて

はじめて みた空だったの

なにしろ すごかった

星のきれいだったこと

もうあれはね 一生のうちで一回

娘の春奈さんと孫の杏ちゃんは

津波の犠牲になった

娘と孫がみつかった後だった。

3月11日の夜の空は

星がきれいに

キラキラ輝いていたそうです。

春奈 あなたも杏も

星空をみましたか

道しるべになりましたか

迷わなかったかな

二人

ばらばらでなかったよね

会いたいよ

もう一度

声が聞きたいよ

一度でいいから

夢にでてきてほしい

春奈 30年間

私達の娘でいてくれて

ありがとう

杏 5年間

私達の孫でいてくれて

ありがとう

つぎの世もまた

私達のところへ

生まれてきてください。

2011年 3月11日

東北地方は広範囲にわたり停電

町から明かりがきえた

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あの日のことって言われて

おもいだすのは ひとつ

今 それ

それしかない

あの時の星ってきれいだったよね

その言葉から 震災の話につながる

ようやく火災も収まってきて

これから どうするんだっていうときに

ほぼ全員の人が

こんなきれいな星をみたことがない

ぎゃくにこわいくらいの星がみえた

というのを記憶してます。

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さきのことは

ほんとにわかんなかったときだったので

なんとなく 見上げたときに

これからどうなんのかな

どんな世の中にとおもって

ふと 上を見て思った時に

その星が わぁーと目にはいってきた

ギャップっていうのがありましたけどね

下みれば家がない

上みれば 被災したところをみないで みれる

きれいな星空というギャップが

ものすごく印象に残っています。

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震災直後から

天文台に問い合わせが

相次いだ

あの日

星がきれいだったんですけど

どうしてですか とか

なんで

あんなに星が

いっぱい見えたんですか

質問をたくさん受けけたんです

それが あまりにも

続いて

そうか

あの日 星を見ていた人は

おおかったんだなっていう事に

気がつきました。

仙台市天文台 高橋博子さん

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その夜は

ほんとにしーんと

静まりかえって

町明かりがまったくなくて

道路は ただ 車が大渋滞で

テール―ランプだけが

ずらーと並んでるっていう

異様な光景で

空をみたら 星空だけが

ものすごくきれいに

みえていたんですね

普段は街中だと

一等星ぐらいしか

みえないんですけどね

あの夜は

もう4等星5等星6等星ぐらいまで

みえてたのかもしれないですね

その時にじぶんの仕事で

なにかできることはないかと

ずーと考えていた

ということがことがあったんで

あの日の星空を再現上映した。

仙台市天文台 大江宏典さん

「星空とともに」により 仙台天文台制作

2011年3月11日 午後2時46分

この時刻をさかいに

私達の生活はいっぺんしました。

そして 仙台の町に

明かりはなく

そのかわりに私達の頭上には

満点の星が現れたのです。

あの日あの時

みんなはその星空を

どんな気持ちで

ながめていたのでしょうか

このきれいな星は

なんなんだろうかと



今までは

こわいのと寒いので

もう震えているしか

なかったんだけど… で、




そん時あまりにも

天と地の差がこんなに

残酷な状況になってるのに



こんなにきれいな星って

なんなんだろうっとおもって



その時はじめて

涙あふれて

とまんなくなったんです。

         宮城県石巻市 女性

地獄の星空って 

こうかなっておもったりね

光りっぱなというか 

星がいっぱいあって

見てる範囲が 

ぜんぶ星なんですよね

「なにやっても ムダだぞ」

星にそう言うわれてるようでね

自然の強さを

みせつけられてっいう星空

          岩手県大槌町 男性


ラジオで

どんどんなくなった人の

数が増えてくのを

聞いてて子供心に

あー大変なことになっているんだと

つよく実感して

そのあとに

星をみたら 

なんか そのなかに

亡くなった人たちがいるような

かんじがちょっとしたというか

きれいなんだけど 

すなおに喜ぶには 

ちょっと残酷だなと

            当時小学生

仙台市天文台はあたらしいプログラムの制作を始めた

阿部さんは津波に流された自宅に

9日間閉じ込められた。

阿部さんもまた

救出を待つ間にみたのは

きれいな星空だった。

昼間はある程度 暖かい

日に光が暖かいので

寝ることもできて

ただ 日が暮れると

とにかく寒いんですね。

部屋のなかにつららができる。

雪もふきこんできて

昼間にとけて つららになって

本当にひとことで言ってしまえば

見るものが星しかなかっただけだとおもう

でも やっぱり

何かをみて

きれいに感じるものがあったのは良かった

今 改めて 星をみて 何か?

それが 嫌な思い出と言う感じは特にしなくて

僕かもしれないですけど

星を見たときに

あの日のことをおもいだせるのは

結構 また前向きになれるというか

もう一度前むきになれるような

そういう瞬間は感じることはありますね

阿部 任さん 24歳

NHKに寄せられた手紙

私は津波で夫と長男を亡くしました。

当時 あの日の星が

きれいだったことを話すのは

タブーだった気がしていた

亡くなった多くの方が

星になって輝いていたんだものね

俺たち私たちの分も頑張れって

不謹慎だったのかな

星となって

被災地を照らしてくれていたんだ

私はどこかで区切りをつけなければと思い

前をみて頑張っている76歳らしく

宮城県東松島市 女性

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みんな美しい星空だったというが

私は見ていない

真っ黒で無音の世界だった

星空なんて見ていないし

空を見るなんておもいつかなかった

赤黒い煙がもくもくあがる

仙台港のコンビナートをみて

恐怖だけだった。

宮城県名取市 女性

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おっかなかったの

しんじられなかったの

静まり返ってた

音がなかったの

ふと 夜空を見上げると

50年も前の子供の頃にみたことのある

満点の星空

近かった つかめそうだった

一瞬 わっ!きれいだって思った

でも すぐに打ち消したの

きれいだなんておもっては

だめだと

沿岸部の故郷がながされた

実家がながされた

知り合いの あの人も

その人も流された

あの星はたくさんのながされた方々だ

きれいだと思う気持ちを打ち消したの

きれいだと思ってはいけない

きれいだと思ってはいけない

宮城県名取市 女性

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岩沼海浜緑地野球場(宮城件岩沼市)

球場の管理業務をしていた人

僕は海をみたんですけど

地をはうような黒い波が

最初 テニスコートのフェンスを

全部倒していきます。

津波がきたんだなとおもったんですけど

その次の瞬間にこの野球場に

もながれこむような津波が

わぁっとはいってきたんで

一番高いのがこのブロックだったので

業務員とともに二人で逃げまして

このうえに足をここにかけて

たまたま カメラをもってたので

動画をとりました。

ゆれたら うえにあがる というのを

何回もくりかえしてました。

それが夜通しだったので

その時ヘリコプターが飛んできていたけど

そのヘリコプターを見ている時に

その星空には気づきました。

もう明かりは全然ありませんので

満点の星空はその時みたんです。

励まされたんだとおもうんです。

あまりにもきれいだったんで

おそらく見たことがなかったくらい

きれいな星空だったんで

ふと 置かれている状況を忘れて

きれいだなぁーって感心していました。

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今日はこれまでです。

また 読きますね。

今日もお読み頂きありがとうございます。

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