【消えた天才】天下の巨人ドラフトを唯一蹴った小林秀一多額の契約金を捨て生き方を貫いた理由 




こんにちは。

今日の消えた天才は史上唯一!巨人のドラフト1位指名を拒否した天才SPです。

ヒェーとびっくりです。

野球オンチのわたしでも巨人指名1位を蹴るなんて・・なんて・・

なんと!! きっと 契約金なんてすごーい金額だろうしー

巨人軍の選手というだけでみんなの憧れの的です!スターです!

なのにどうして 蹴ったのでしょうか

85年にもおよぶ巨人の歴史のなかでたった一人だったそうです。

小林秀一

出身地 熊本県天草郡大矢野町(現:上天草市)
生年月日 1951年4月20日 現在68歳
ポジション 投手
経歴 八代第一高等学校→愛知学院大学→熊谷組

小学生のころから野球を始め投手として活躍していた。

1967年八代第一高等学校(現:秀岳館高等学校)に進学しました

親元を離れ寮生活をしていたそうです。

1970年 野球の才能を買われて愛知学院大学へ進学

1973年のプロ野球ドラフト会議で巨人から1位指名をうける。

一位の指名を拒否

同郷の川上監督が入団交渉のため名古屋のホテルで会った時

入社が内定していた熊谷組は本業の仕事の次に野球だ

ノンプロで野球を続けるのだったら

プロでやるのが本筋というものだろうといわれたそうです。

うちは野球で君が欲しいと言われたそうです。

すごーいプロポーズ!?じゃなかった アタックですねー

きっと 私なら ありえへんけど・・・

契約金はなんぼやろかとか

お金のかお 札束が 頭のなかを

いっぱいとんでいるとおもいますが・・・

同じ熊本の出身 川上監督に言われた時

プロにいっても面白いかなとおもったそうです。

生き方を貫いた理由

けれど 自分は野球オンリーでない生き方を自分は選んだはずだと

自分自身の原点を思い出し野球を職業にしてはいけないとおもった。

自分が決めていた生き方にどんな事があっても、

巨人ドラフト1位という野球人なら

一番名誉なことでも 断りました。

ひたすら 自分の決めた 思い描いていた人生を生きておられます。

この巨人ドラフト1位指名にも動じない決意!

見習いたいですね~ すぐに いいことを言われれば

つい そちらの方へなびいてしまう

自分自身が少し恥ずかしくなりました。

番組では もっと くわしく お話されると思います。

では、現在の様子も楽しみに番組を観てみましょう。

今日もお読み頂きありがとうございます。

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