むかし、観相、人の顔を見て、
その吉凶を占うことを専門としている
観相占いの人がいました。
占ってもらうと人相だけではなく
食事の量や、時間、回数、内容、等を
詳しく聞き、その上で、吉、兆、を占ったのです。
人相が凶であろうと吉であろうと関係ありません。
今から食を慎みなさい。
粗食 少食 を基本にすることです。
そうすれば、きっと、運は好転します。
晩年は財を成し、幸運かつ健康で長生きができます。
と誰にでもいいました。
生い立ちと観相家になるまで
その人生まれ育ち立は
幼い頃に両親を亡くし孤児となり
鍛冶屋を営む叔父夫婦に
あずけられました。
寂しさからか 10歳から 酒の味を覚え、
バクチ三昧の生活をすごし
喧嘩沙汰ばかりおこしていました。
18歳のとき 酒代欲しさに悪事を働き、
捕まり牢獄に入れられました。
牢獄で過ごしながら、
いろんな罪人の顔をみていると
普通の町人と罪人の人相が同じ人間なのに
あまりに違っていることの驚きました。
死相が出ていると言われ
牢獄から出たのち、道を歩いると、
乞食坊主に、死相がでていると言われ
4,5か月の命と、なんまいだぶつと拝まれ
なにをくそ、とおもい、
それでもその言葉が気になり
仏門へ入門しようとおもいますが、
その風貌をみて
「無頼遊侠の放蕩三昧になじんできた
そなたに耐えられるか、それでは、
食事を麦と白豆だけで続けてみよ
それを守ることが出来たら弟子に迎えよう」
と言われ
その夜から 食べはじめたが、
調味料もおかずもそえず
ばさばさした麦 白豆だけを口にいれると
噛めも、のめも、できたものではなかった。
腹がすかんから 美味しくない と気づき
毎日、寺の掃除や草むしりにでかけると
やわらかな白豆や麦の味が
甘味をおびて感じられた。
運命の5か月後
運命の5か月を過ぎ
雲水たちと托鉢に出かけると
うしろから まだ生きておったのかと、声がし
あの乞食坊主に声かけられて
奇妙じゃ 消えておる 死相が消えておる。
なにをしたのかと、尋ねられ、
麦と白豆の食事と
寺の掃除、草むしりなどと、いうと
功徳善根を施したので、死相が消えたのじゃ。
その乞食坊主のことばを聞いてるうちに
ちらっと観ただけでその人間の運命が予測できる
観相の玄妙さにぐいぐい魅きこまれていった。
その後 その乞食坊主の弟子になり人相見の術を習い
実際に放浪のの旅にでて
人々に触れてその人相を観ようとしたが、
最初は、おのれの人相の悪さゆえに
誰も、よりつかなかたそうです。
放浪の旅で悟る
その後 何年もの放浪の旅にでました。
まず、はじめの3年は床屋に弟子入りしました。
髪を切られている間は客はじっとしているので
顔や頭の形をまじまじと観察できるからです。
次の3年は風呂屋の三助になりました。
風呂場で裸になった人間の肉付き骨格など
じっくり観察しました。
次の3年間は火葬場で働いて
死人の骨相を観察しました。
これだけ、いろんな方面から観察して鑑定しても
百発百中とはいきませんでした。
そんな時、ある観相家に出会い、これだと思ったそうです。
身を修めて、はじめて天下を修めることができるということでした。
身を修めるというのは。まず食を慎むことだったのです。
なぜならば、食は命に直結しているからです。
食と運命。このことを知って、
ある時こっそりと死体を解剖し内臓の様子、
つまり腸相を確かめました。
その結果 悲運のまま亡くなった人の腸相が、
いかにも乱れていることを発見したのです。
50歳の頃、伊勢神宮で、
21日間の断食をしながら
水垢離の行をおこない
豊受大神(一切の食物の神)の祀られている外宮に
参拝した時、神の言葉をきいたのです。
「人の運は食にあり」
この時、自分の使命が少食開運という道を通じて、
人々を幸せに導く以外にないとさとったのです。
人の運命の吉凶は食を慎むか慎まないか
という一点に在ることを強く悟るようになりました。
まとめ
運命を変える、変えられるものは、”なにか”と追い続けた
奇想天外な人生ですが、その時々が真剣です。
死体を解剖してまで、真実をつきとめる。
すごい迫力ですね。
この話にびっくりしました。
食と運命 が、関係があるなんて・・・
次は、観相家が悟ったという
食と運命の関係をみていきましょう。
今日もお読みいただきありがとうございます。