こんにちは。
なつぞらで
天陽くんが描いたという雪月の包装紙
いいですねー
あの絵、実際は誰が描いたんだろうー って
番組みながら ずーと思ってました。
描いた方は 誰?
とっても 素敵で、なんだかみているとほっとして 惹き付けられます。
今日の番組中に壁に飾ってあった この絵も 素敵です。
調べてみました。
村山之都さんです。
天陽の絵画制作と指導を担当する村山之都さんから、
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村山之都さん Shitsu Murayama
1999年から毎年のように東京、銀座 浅草 そして北海道などで
個展を開催されています。
やっぱり北海道の方だったんですね~
なんか 納得しました。
あの風景は北海道に住んでらっしゃる方しか
描けないような気がしていました。
村山之都は、立体の構造を光と影の形体の組み合わせとして見るという絵画表現における立体の基本的なとらえ方を独自の技法に昇華させ、絵画作品の制作を続けている。
出典:https://www.nanatasu.jp/artist.php?id=30
今年も個展をされます。
もうじきですね。
お近くの方ぜひご覧になってくださいませ。
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天陽くんのモデルの画家の方は?
30代でおなくなりになってますよね。
調べてみましたら 神田日勝さんという方です。
神田日勝さんの経歴
神田 日勝(かんだ にっしょう)
1937年 東京の練馬に生まれる。
1945年(昭和20年)、東京大空襲に遭遇。戦火を逃れる為一家で北海道鹿追町へ疎開する
1950年(昭和25年)に鹿追中学校に入学し、美術部を創設する。
1952年(昭和27年)頃には兄・一明の影響を受け、油絵を始めた。
1953年(昭和28年)に中学を卒業、美術が特に優れていたとして賞を受ける。
そして東京芸術大学に進んだ兄の神田一明に代わり、農業を継ぐ。
1956年(昭和31年)、平原社展に『痩馬』を公募展初出品、朝日奨励賞を受賞する。
その後も平原社展、全道展を中心に作品を出品、1960年(昭和35年)には『家』が全道展で初入選を果たす。これ以降は入選を重ね、評価を固めていく。
1962年(昭和37年)に結婚。64年には長男、68年には長女が誕生する。
1970年(昭和45年)、全道展に代表作『室内風景』を出品。
しかし6月下旬に風邪をこじらせ、8月に体の不調で入院。
その後次第に病状が悪化する。
そして8月25日腎盂炎による敗血症のため、32歳で死去されました。
出典:Wikipedia
モデルになった 神田日勝さん 描きかけの馬の絵と
柳月のクッキーです。
神田日勝の油彩作品は、素材の質感と手応えが気に入ったためか、 ベニヤ板にペインティング・ナイフを用いて描かれているのが特徴です。
1956年頃~1963年頃
こげ茶色を多く用いて、生活に根ざしたものを克明に描き、ものの存在感を追求しました。 見たままに描くのではなく、対象をデフォルメして、画面いっぱいに大きくとらえています。
「馬」
1957年 油彩・ベニヤ(73.0×105.0)
中学を卒業した日勝は、営農に勤しむ傍ら油彩画の制作に励みました。 この作品は、帯広・平原社展に初出品・初入賞した「痩馬」に続いて同展で発表され、最高賞である平原社賞を受賞しました。 ここに描かれた馬は日勝と生活をともにした農耕馬と思われ、その姿を通して戦後開拓生活の一端を偲ぶことができます。 これ以降日勝は生涯を通して馬を描き続けました。
「飯場の風景」
1963年 油彩・ベニヤ(138.2×183.5)
飯場で働く男たちの束の間の休息をとる姿を描いた作品。 手や足を大きく描くことで働く男たちの逞しさが表現され、画面全体を沈黙が支配しています。 日勝には飯場での労働体験はありませんが、過酷な農作業に従事する開拓農家の共通する境遇がそこに活写されています。
1964年頃~1966年頃
この時期は、馬や牛の毛並、壁の表面など、質感描写がより深化し、本当に触れられそうな感覚を覚えます。 一方で、空間表現は陰影や奥行きが排除されることで、ますます見る者に迫ってくるような印象を与えます。
「牛」
1964年 油彩・ベニヤ(144.0×144.0)
石床の上に敷かれた筵の上に、手足を鎖で縛られ、腹を切り裂かれた牛が横たわっています。 永遠の眠りについた牛の穏やかな表情とは対照的に、切り裂かれた腹部の鮮烈な赤が目を惹きます。 赤・青・白の鮮やかな原色が部分的に取り入れられ、以降の作品にはより色彩が取り入れられるようになります。
「死馬」
1965年 油彩・ベニヤ(181.8×227.3) 北海道立近代美術館
冷たい石の床、丹念かつ克明に描かれた馬の体表。 開拓生活をともに生きた農耕馬の死を悼む壮厳なレクイエムといえるのかもしれません。 手足を縛る鎖は、死してなお自由になることのできない過酷な運命を投影しているようでもあります。
1966年頃~1969年頃
赤や黄、青、緑などの原色が多用されるようになり、題材も筆づかいも大きく変貌していきます。
アンフォルメル(非具象)など最新鋭の芸術運動の影響を受け、多くの画家たちが抽象表現に転向してゆく中で、 日勝もまた具象・抽象のはざまで新しい表現の可能性を模索しました。
「画室A」
1966年 油彩・ベニヤ(144.0×183.5)
1966年から翌年にかけて、日勝は「画室」の連作を描いています。 これはそのシリーズの第一作で、以前の作品に見られた克明描写と暗褐色の色調は殆ど姿を消し、 赤、青、黄などの原色がふんだんに使われています。また画室の中の雑然とした風景が、簡略化されたフォルムで平面的に処理されています。 それまで抑えられていた”色彩”に対する欲求が一気に溢れ出し、新たな創作意欲が画家を駆り立てています。
「画室C」
1967年 油彩・ベニヤ(163.5×182.8)
前作に比べ、モチーフが中央に集められ、床と壁がピンク色に塗られポップなイメージに変わっています。 床には、椅子や絵の具缶などがリズミカルに配置され、広告チラシや商品パッケージも登場しています。
「晴れた日の風景」
1968年 油彩・ベニヤ(182.5×183.5)
左官ゴテを改良して、「人と牛」の連作に代表される厚塗りの作品を制作するようになります。 豊かな色彩と激しい筆触は、画風の大きな転換です。 人と馬というモチーフは従来からのものですが、その画風はアンフォルメルの影響を直に感じさせます。 当時の美術潮流の大きなうねりの中で、日勝も画壇の潮流に敏感に反応していたのかもしれません。
1968年頃~1970年頃
豊かな色彩、激しい筆触で描かれた作品があらわれる一方で、当時の社会事象を投影した作品も描かれました。 新聞広告やポスターが「だまし絵」のように本物そっくりに描かれています。 現代社会に生きる我々にメッセージを投げかけているかのようです。 社会の矛盾や問題を鋭く突いた傑作として神田日勝の代表作となった「室内風景」へとつながっていきます。
「ヘイと人」
1969年 油彩・ベニヤ
「人と牛」などの抽象表現主義の画風と平行して、このような「だまし絵」風の作品も描かれました。 車や薬の新聞広告や”ベトナム戦争”を暗示するポスター、ヌードのポスターが、コラージュのように塀に貼られています。 情報化社会や大量消費時代に、日勝が社会の事象と鋭く対峙していたことが窺えます。 情報が氾濫する現代社会に生きる私たちの生活を予見するような作品です。
「室内風景」
1970年 油彩・ベニヤ(227.0×182.0) 北海道立近代美術館蔵
神田日勝最後の完成作。 一枚一枚の新聞紙がまるで本当に画面に貼られているかのように見えます。 遠近法を画面に持ち込むことがほとんどなかった従来の作品に比べ、わずかに奥へと向かう空間が感じられ、 自ずと中心に座る男の視線と向き合う形になります。 その強い視線に捉えられ、異様な空間の中に引きずりこまれていきそうです。
現代社会に生きる人間の孤独や苦悩、その在り方を問う力作として、時代を経た今もなお、我々の心に迫ってきます。
「馬(絶筆・未完)」
1970年 油彩・鉛筆・ベニヤ(183.3×204.0)
本作は未完成のままアトリエに遺されていた作品です。 むき出しのベニヤに半身だけが描かれた馬。 後ろ足はかすかに鉛筆の輪郭があるだけです。 さまざまな画風の変遷の後に描かれたこの作品は、 画家自身が初期の克明描写の画風に回帰し、再出発をしようとしたようにも見えます。
画家がどのようにこの作品を仕上げようとしたのか空想が広がります。
出典:神田日勝記念美術館
十勝のなつぞらに生きた神田日勝の時代の風情を作品から感じ取って頂きながら、広々とした台地の旅を楽しんでいただいています。
館長さんからのメッセージです。
包装紙の絵を描いたのは村山之都さん
あの素敵な包装紙の絵を描かれた方がわかりスッキリしました。
また村山之都さんの作品を知ってますます魅力的だと思いました。
神田日勝さんのエネルギ―あふれる絵とどこか共通なものを感じます。
この番組でこのお二人の絵を知った事に感謝します。
これからも なつぞら 楽しみです。
今日もお読み頂きありがとうございました。