夜になると自宅の一室でひとり泣きじゃくるようになっていたという。

小山明子  うつ病

1996年、大島さんは脳出血で倒れ、右半身麻痺の状態となりました。
家事はお手伝いさんに任せきりだったので料理が全然作れませんでした。
だから、カロリー計算した食事が必要だと言われても
献立も考えられない。頑張らなければと思えば思うほど追い詰められていったんです。